あれから10年《国民主権を実態化するにはやはり“選挙”しかない》渡辺幸重

東日本大震災・福島原発事故10年」に思うこと

火事や土砂崩れなどの災害現場から逃げる群衆と逆方向に、現場に向かって走るのがジャーナリストの習性です。10年前の東日本大震災。原発事故にショックを受けた私は3年間、原発の周辺をうろうろしました。ボランティアもせず、何の役にも立たないことに後ろめたさを感じながらでしたが、現場の姿を脳裏に焼き付け、記録することが自分の役目、と無理に言い聞かせました。いまでも忘れないのは福島駅の前の下水溝に線量計を近づけたときのことです。甲高い音で「ピーッ」と警戒音が鳴り響きました。私は一瞬、体が凍り付き、思考停止に陥りました。放射線量が異常に高いことは確かで、“死の予感”さえしました。ジャーナリストは常に冷静に、と自分を諫め、線量計の警戒レベルの設定値を上げて音がしないようにしました。いま思えば、私はアラームのレベルを上げず、ずっと警戒音を鳴らし続けておくべきでした。原発事故以来、日本国民は原発に対する警戒心のレベルを意図的に緩和し、原発をなし崩し的に許容する方向に向かっているように思います。「原発は危険」「原発とは共生できない」から「原発は地域振興のための必要悪」「原発の弊害には目をつぶろう」「二酸化炭素削減の国際公約を守るために原発は必要」というように。私自身もその波の中に巻き込まれそうで怖い気がします。いまこそアラームを鳴り響かせなければなりません。 “あれから10年《国民主権を実態化するにはやはり“選挙”しかない》渡辺幸重” の続きを読む