22年夏号Vol.42 《巻頭言》Lapiz 編集長 井上脩身

姉のナターシャ・グジーさん

ウクライナにバンドゥーラという民族楽器があります。コントラバスとハープをくっつけたような、涼やかな音色の弦楽器です。日本人にはなじみのないこのバンドゥーラ奏者のウクライナ人姉妹が日本にいます。姉妹は祖国の平和を願って日本の各地でコンサートを開いています。

 姉妹はナターシャ・グジーさんとカテリーナ・グジーさん。姉妹はチェルノブイリ原発近くのプリチャピという町で生まれました。1986年4月26日、同原発が事故を起こしたとき、姉のナターシャさんはプリチャピの小学生、妹のカテリーナさんはまだ生後1カ月の乳児でした。一家は「3日間だけ」といわれて首都キーウに避難。同原発周辺に立ち入ることはできず、一家がプリチャピに帰るというささやかな夢はついえました。

姉のナターシャさんはキーウの小学校に転校、やがてバンドゥーラに出合い、8歳のときから音楽学校で本格的にバンドゥーラ演奏と声楽を学びます。そして同事故で被災した少年少女を中心に結成された音楽団「チェルボナ・カリーナ(チェルノブイリの赤いカリーナ)」のメンバーとして1996年と1998年に来日しました。日本に魅力をおぼえ2000年から日本で活動をはじめました。

妹のカテリーナ・グジーさん

妹のカテリーナさんもキーウの小学校に上がると、お姉さんの後を追うようにチェルボナ・カリーナに入団しました。バンドゥーラを演奏しはじめ、10歳のとき楽団の一員として来日。ウクライナの文化を日本に伝えたいと思うようになり2006年、日本に移住しました。

2011年3月11日、福島第一原発で事故が発生。「安全な国」と感じていた日本でチェルノブイリ原発事故クラスの過酷事故が起きたことに姉妹は驚愕。ナターシャさんは2017年7、事故原発があった福島県大熊町の小学校が避難している会津若松市の仮校舎で演奏。カテリーナさんは福島事故から10年がたった2021年、滋賀県彦根市でのコンサートに出演するなど、バンドゥーラ演奏を通して、被害に遭った人たちを支援したり、原発事故の恐ろしさを訴えてきました。・

そして今年2月24日、ロシアによる祖国への侵攻です。日がたつにしたがい、民間人を標的にしたとみられるロシア軍の残虐な戦闘行為が次々に明るみに出ました。姉妹がもしウクライナにいたなら、犠牲に遭った可能性がないとはいえません。ナターシャさんは今年4月16日、函館市でコンサートを開き、「一秒でも早くこの悲しい現実が終わってほしい」と訴え、日本語で『涙そうそう』をうたいました。カテリーナさんは4月8日、夜桜会が開催中の姫路城内でウクライナ民謡のほかジョン・レノンの『イマジン』などを演奏。「戦争が起きて悲しい。平和になって、もっと明るい曲を弾きたい」と語りました。

 実は私はお姉さんのナターシャさんがバンドゥーラを弾き語るのを聞いたことがあります。2007年2月、大阪で行われた小児がんの子どもたちを支援する催しにナターシャさんが招かれたのでした。その2年前、私は仕事でキーウに3回行ったことがあり、ウクライナに親近感をおぼえていたのでした。

バンドゥーラという楽器があるのをそのとき初めて知りました。ハープをさらに繊細にしたような音という印象です。ナターシャさんの歌声は、透き通った小川のようでした。彼女の演奏が終わると、子どもたちがステージにあがり、ナターシャさんを中心にみんなで合唱。曲は日本の唱歌『ふるさと』でした。

「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷」

この15年後、ロシア軍がウクライナに攻め込み、国土を砲弾でめちゃめちゃに破壊したうえ、罪のない市民を虐殺すると誰が予想できるでしょう。ウクライナ戦争は、グジーさん姉妹の故郷の国を無残に切りさいなんだのです。

妹のカテリーナさんは「命が奪われない世界になってほしい」と函館のコンサートで悲痛な声を上げたそうです。当たり前の叫びが届かない不条理に、私は絶望感すら感じます。

 このウクライナ戦争をしかけたロシアのプーチン大統領。彼はどのような野心からこのような野蛮な戦闘を命じたのでしょうか。本号では「編集長が行く」シリーズのなかで考えてみました。