とりとめのない話《とてもJazzないい話》中川眞須良 

人は齢を重ねると とかく昔が恋しくなる。過去の自分 過去の出来事 経験などを思い出しすべて現在と比較対象し物事の判断材料にする傾向が強い。一人の時、 友人や家族と一緒の時はもちろん新聞 雑誌 テレビなど複数のメデイアに接した時はなおさらである。

即ち「昔(以前)は△△△であったのに・・・」で始まり そして「昔は良かった!」で落ち着く。感覚に差こそあれ この年代の人は皆そうであろうが私のように少し度が過ぎると「また昔ばなしが始まった」と周囲からの冷やかな目が集まる。

しかし別の人はこうとも言う、「七十を過ぎた人が亡くなれば 小さな図書館が一つ無くなったに等しい」と。それはいわゆる文章、資料等の「物」ではなく膨大な、いや!無限とも言える「経験」とその「伝承者」の消滅を意味する。ここで評価に値しないであろうが、私の少しの経験の記憶の封印を切って一つの引き出しに移し替えて置くことにする。

大阪ミナミの中心・道頓堀、その東の端、堺筋の「黒門市場」の看板が見えるビルの一角のJAZZスポットでのライブの記憶である。

店のオーナーの女将Mさんはこの世界には顔が広く、特にピアノの巨匠「ハービー・ハンコック」とは親交があり、来日公演時には必ず来店し(当店で演奏予定がない時も)グラスを傾ける友人だ、などの話題が飛び交う知る人ぞ知るスポットである。ある日友人のお誘いを受け二人で当店を訪れた時の記憶の断片は今なお鮮明である。

その日のライブは 日本人男性JAZZピアニスト 「田村翼トリオ」である。入店時リーダー田村はトレードマークの薄い褐色のメガネ、背筋を伸ばし丁度ピアノ演奏中であったがレコードジャケットの写真からは少し齢を召されており、その横顔からは少し緊張気味の様子が伺えた。客数は約20人。うち半数近くが女性であるのにも少し驚いた。女性オーナー店であることがその一因かも。一曲の演奏の終わりに際し、しばしの拍手がつづくのはJAZZ・SPOT独特の雰囲気でもある。
少し間を置き田村が小声で「初めにも申しましたように私が好きで目指しています『ハンプトン’-ホース』をイメージしながら もう一曲」と曲名も告げずに次の曲が、彼の強めのタッチのピアノソロからスタートした。まもなくやや控えめにベースが入り更に数小節目からドラムスのスネアーが参加、ピアノトリオの定番演奏が始まったがすぐ予期せぬアクシデントが発生した。

ベーシストの近くにいた女性客の一人が何か飲み物を喉に詰めたのであろう。急に大きく咳き込んでしまった。その音(声)の大きさ、激しさ、回数、時間の長さ。お気の毒であるが凄まじい。このような場所では最悪の状態である。彼女は場を気遣ってのであろう、立ち上がろうとするがとても無理のようだ。この時点で演奏はもちろん中断である。

申し訳なく、その場にいづらいのであろう ハンカチで口を押さえながらまた立ち上がろうと・・・。その時すぐ近くのベーシスト、さっと女性に近寄り肩に軽く手を置き何やら二言三言(すぐにでも治まりますよ このまま少し待ちましょうとでも言ったのだろうか)。数秒間の少しの静寂後ベーシストは持ち場へ、女性は席にしっかりと座り直した。この急の咳き込み、収束に向かってはいたが軽い咳まではすぐには止まらない。
がこの時突然 リーダー田村はこの咳に合わせてなんとピアノを弾き始めたではないか。女性の表情をじっと見つめ ゴホン!「ダン!」 ゴホンゴホン!「ダン ダン!」ゴホン!「ダン!」。そして女性最後(?)の咳とピアノのタイミングがピタリと合致したのだ。「ゴホンダン!」と。そして次にその同じ和音、三度軽快に弾かれたのを合図に(「ダン!・・ダン!・・ダン!)。先の演奏の続きが何もなかったように再開された。
お客様は総立ちで拍手、歓声、口笛が最後まで続き演奏はほとんど聞こえない状態だった。
その曲の演奏終了直後時の女性、中腰の姿勢で立ち上がり周囲に向かって深々と頭を下げた。場の雰囲気を壊してしまったことへの自責の念からだろうが。

この時まだ鳴り止まぬ拍手を一番大きく聞いたのは誰だろう。
そして頭を下げた女性の目からこぼれ落ちる大粒の涙を「この日、この時」全員が見届けたはずである。

JAZZは素晴らしい! そして「田・村・翼・ファン」がまた増えた。