編集長が行く《コロナ禍のなかのオリンピック 下》Lapiz編集長 井上脩身

昨日からの続き

選手と同じ高さで観戦

応援グッズを手に声援を送るプロ野球ファン(阪神甲子園球場で2014年4月20日)

阪神-ヤクルト戦での私たちの観戦位置からは選手を上からながめることになる。ボールを追う彼らの表情を自分の目ではとらえられない。それはやむを得ないことだが、私は甲子園球場で選手と同じ目線で試合を見る幸運に恵まれたことがある。
1999年の選抜高校野球大会であった。当時の甲子園球場のネット裏スタンド下に、アナウンス室があった。その隣が主催者席と審判団席である。グラウンドより50センチ高いだけで、いわば捕手とほぼ同じ目の高さで試合を見ることができるという、驚くほどの特等席だ。
私は主催新聞社にいたので、開会式の日に行われた沖縄尚学-比叡山戦を特等席から観戦した。七回、スクイズで沖縄尚学の三塁走者がホームをつく。キャッチャーがミットをつき出す。走者はタッチをよけようとする。アウトのタイミングだ。私の目には今も捕手のグローブが鮮明である。アンパイアがセーフの判定。これが運命の分かれ道になった。
沖縄尚学は1-0で比叡山を降すと、勢いにのって決勝戦まで進出。水戸商業に2点を先行されたが中盤に逆転、5-2で七回の攻撃を迎えた。沖縄尚学が勝てば、春夏を通じて沖縄県勢初の甲子園制覇である。その歴史的瞬間を目の当たりにしようと、私はアルプススタンドに走った。ホームランまで飛び出し、7-2と勝負は決定的に。応援席は指笛が吹き鳴らされるなど大騒ぎ。隣の男性が私の肩を抱いて「優勝や」と泣いている。おそらく大阪・大正区に住む沖縄出身者であろう。優勝が決まった瞬間、私はこの男性の手を握って祝った。
このときから、トップレベルの試合をグランドと同じ面で見たいと思うようになった。テレビで東大阪花園ラグビー場での試合を見ていて、デッドボールラインの外には高い観覧席がないことに気づいた。そこからなら選手と同じレベルで試合を見ることができるのでないか。そう考えて2015年12月、同ラグビー場で行われた大学選手権の試合を見にいった。はたしてデッドボールラインと観覧席の間には高さ70センチくらいの生け垣で仕切られているだけだ。同志社大-筑波大の試合が行われていた。
同志社は22-36で敗れたが、ウイングの選手が相手ディフェンスのすき間をついてトライをしたときの表情が忘れられない。スタンドに目をやり、りりしい顔をほころばせたのだ。グラウンドから見ればスタンドは高さ2・5メートルの壁の上だ。コンクリート壁は人を阻む冷たさがにじむ。だが、その壁を感じさせないホッとさせる空気が選手とスタンドの間を流れていた。

車イス選手に称賛の拍手

車イス競争でゴールし、笑顔をみせる女子選手(鳥取市の陸上競技場で2016年4月30日)

2016年4月30日、鳥取市の陸上競技場で行われたリオパラリンピック代表選考を兼ねたパラ陸上競技大会に私は足を運んだ。同大会が大阪以外で開かれるのは初めてといい、「障がい者スポーツに関心をもってほしい」と手をあげた鳥取県の意気に共感し、観戦しようと思ったのだ。
義足をつけているとは信じがたいほど軽快に走る選手、走り幅跳び競技で砂を勢いよくまきあげる選手、片腕だけでヤリを遠くまで投げる選手、そして車イスを巧みに操ってゴールに駆け込む選手――私には何もかもが新鮮であった。リオ大会の代表の座を射止めた選手たちの晴れ晴れとした表情に、私まで心が晴れるおもいであった。
同県は人口が約57万人と全国で最も少ない。観覧席もメーンスタンドが使われただけで、私の目分量では観衆は2000人程度であった。しかし、選手たちは送られる拍手に、両手をあげて応えていた。なかでも私が感動をおぼえたのは女子車イスのレースに出た一人の選手だった。年齢は40歳前後であろう。100メートルであったか200メートルであったか、レースの種目は記憶がない。彼女は他の選手から大きく引き離され、えっちらほっちらという感じで車輪をまわす。そしてゴールをするとスタンドの方に目をやり、満足そうに微笑んだ。「ようやった」「えらいぞ~ぉ」。あちこちから称賛の声がとび、スタンドは明るい笑いにつつまれた。
彼女はリオパラリンピックに毛頭縁がない。だが、間違いなく、彼女と観衆との間に言い表せない心の通い合いがあった。私から見れば彼女こそこの大会の主役だったのである。

ただのメダル争奪戦か

今年4月28日、政府、大会組織委員会、東京都、国際オリンピック委員会(IOC)、国際パラリンピック委員会(IPC)の5者協議で、東京オリンピック、パラリンピックの国内観客について、6月に結論を先送りすることで合意。組織委の橋本聖子会長は記者会見で「ギリギリの判断として無観客という覚悟をもっている」と述べた。
すでに海外からの観客を受け入れないことは決定されている。5月に入っても大阪府、兵庫県では医療崩壊状態が収まっていないうえ、東京都をはじめ全国的に医療現場では逼迫しており、オリンピックを開くとしても無観客は避けられない見通しだ。では、スタンドを空にしてまで大会を開く意味はどこにあるのだろう。
白血病と闘って復活してきた池江璃花選手の水泳を見たい、と多くの人はおもう。彼女のことだからメダルをとれるのでは、と夢を膨らます人もいる。池江選手自身、次回のパリ大会で大きく花を開かせるためにも、東京オリンピックは是が非でも出場したいだろう。
だが、オリンピックは単なる競技会ではない。「平和の祭典」といわれるように、近代の人類が考え出した世界規模のお祭りなのである。岸和田だんじり祭りは、だんじり(地車)の屋根の上で繰り広げられるスリルあふれる演技が最大の見せ物だ。だが誰一人見る人がいなければ、演芸大会になり得ても、お祭りとはいえない。いうならば、食べる人がいないのに料理を作るようなものだ。料理人が腕を振るい、食べる人が「おいしい」と喜ぶことで食文化は成り立つ。スポーツもアスリートの奮闘と観客の感動があってはじめて文化として成立するのだ。そこにさまざまな味つけが施されて祭りになる。無観客では、お祭りどころか、文化的要素の欠いたメダル争奪戦でしかない。

ウソで始まりウソで終わる?

オンラインで開かれた5者協議(ウィキペデアより)

コロナ禍で自粛暮らしがつづくなか、女子駅伝写真の選手たちを見ると、しおれかった心が水を得て生き返る心地がする。彼女たちは今、27~28歳であろう。マラソンや長距離走の代表選手にはなれなかったようだ。陸上は続けているのだろうか。引退してお母さんになっている人がいるかもしれない。もちろん私は彼女たちと何のつながりもない。だが、テレビ画面でしか知らないシドニーオリンピックのゴールドメダリスト、高橋尚子さんよりはるかに親近感をおぼえるのだ。
札幌で行われたテスト大会では、無観客のはずなのに、見物客で密になった所もあることが問題になっていた。これでは本番が思いやられるというのである。何とも奇妙な話だ。無観客が徹底できなかったのが問題なのではなく、無観客にしてまで開催することが問題なのではないのか。と誰も思はないのであれば、その方がさらに問題なのかもしれない。
考えてみれば、安倍晋三前首相が原発事故の後始末について「アンダーコントロール」とウソを言って誘致したことから東京五輪話は始まった。昨年3月24日、1年延期が決まったとき、安倍氏は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして完全な形で開く」と述べた。仮に開催するとなれば「打ち勝った証し」もウソになる。そもそも真夏の東京で開くこと事態が間違いと指摘された2020東京オリンピック。ウソで始まりウソで終わるのであろうか。(完)