連載コラム・日本の島できごと事典 その76《南波照間島》渡辺幸重

日本最南端平和の碑(「離島ナビ」 http://ritou-navi.com/2015/10/23/paipatiroma/)

 有人島としての日本最南端の島は、沖縄・八重山諸島に属し、西表島の南約22kmに浮かぶ波照間島(はてるまじま)になります。伝承ではもっと南に「南波照間島(パイパティローマ)」と呼ばれる島があるとされ、『八重山島年来記』にも「大波照間(島)」という記述が見られます。はたして、地図では確かめられないこの島は実在するのでしょうか。

 伝承では、ヤグ村のアカマリという男が、税を取り立てに来た役人を酒に酔わせて公用船を奪い、村人を連れて南波照間島に脱走したとあります。一方、琉球王府の記録である『八重山島年来記』には、1648年に波照間島平田村の農民450人ほどが重税から逃れるために大波照間という南の島に渡ったと書かれています。この二つの話は重なり合い、史実と考えれば南波照間島も夢想とばかりは言えません。実在する島だと仮定した場合、台湾島や台湾南東沖の緑島(火焼島)、蘭嶼島(らんゆうとう)、フィリピンのルソン島などではないか、と言われてもいます。1892(明治25)年、沖縄県知事は海軍省にパイパティローマを含む南島の探検要請を出しましたが、断わられました。また、1907(明治40)年には沖縄県が台湾東部の火焼島と紅頭嶼(蘭嶼島)を農民の脱走先と考え、県技手を2度に渡り派遣・探検させています。

 南波照間島に渡った農民たちが逃れたという税は「人頭税」のことです。人頭税は収入に関係なく15歳から50歳までの男女全員にかけられた悪税で、薩摩藩からの搾取による財政難に陥った琉球王府によって1637年から石垣島や宮古島などの先島(さきしま)の島々にかけられました。廃止は1903年、明治36年ですから先島諸島の人たちは長い間、圧政に苦しめられたことになります。人頭税は一般に「じんとうぜい」と呼びますが、先島の場合は「にんとうぜい」と呼ばれます。

 さて、南波照間島に逃亡した農民はその後どうなったでしょうか。数年後に南島に漂着した者がそこでアカマリに会い、「ここは人食い島なので、すぐに出て行け。帰っても島の場所は決して言わないで欲しい」と言われたという伝承もあります。また、八重山の島々はかつて密貿易を行っていたと推測し、実はアカマリらは意図的な行動として食料や物資を豊富に搭載した公用船を奪い、マラッカ方面に向かって航海したという勇壮な物語を語る人もいます。