とりとめのない話《俳句ななめ読み2》中川眞須良

万緑と死

2020年2月、WHO(世界保健機構)から新型コロナウイルス流行に関して世界に「非常事態宣言」が出された。
事の重大さを考えればそれに対する世界各国、日本、および各自治体等の対応のしかたは事情が異なるなかで当然であったと言えるが、このニュースに関し予想される多くの事柄をプラス、さらに色付けして何度も繰り返し報道するマスコミの姿、さらにその内容に慌てふためき物販店に開店時間前から日用、食料品の買い占め?のために列をつくる人々の光景に、ある種の不安、不気味さ、そして少しの恐怖感を覚えたのは私だけであろうか。

このような社会現象に警鐘を鳴らしているのか、またそれを皮肉っているのか、わたしの頭の片隅で時々目を覚ます俳句がある。

萬緑や 死は一弾を 以て足る 上田五千石

である。(昭和43年句集「田園」より)

この作者、自身の句によく「一」を表現する。
一つ、一行、一水、一尺、一角、一詩、一語、一対、一球、等
そしてこの句の、「一弾」である。
流れがよい、響きがよい、そして何より解釈の裾野の広さがよい。
これらは私に印象を強く与える所以なのだろう。

ここでこの上の句「万緑」を
「立ち止まることを忘れ、ゆらゆら揺れる蜃気楼の中の道をただ突っ走る、恐れを知らぬ現代社会の絶頂期」と解釈するならば、その下の句を「一瞬の隙をついて放たれた一本の小さい矢、その少しの毒は油断と慢心から膨れ上がった巨象の胎内に拡散、蓄積され更に不安と動揺を触媒として猛毒へと変化する。日常の不作為の堆積の結果巨象はバランスを失い没落から破壊へ、そして次は死である。」と解釈せざるをえない。
すぐさま、「くどくど長ったらしい比喩的な解釈だ」と一蹴されること必定かも。
しかし、上田五千石 は五七五の、わずか17文字で表現している。

中川 眞須良 (なかがわ ますら)
1945年兵庫県淡路島生まれ。モノクロ写真を続けて45年。ますますその深みにはまりもがく日々を過ごす。