Lapiz 22夏号Vol.42 読切連載《アカンタレ勘太11-1》文・画 いのしゅうじ

カブトムシのムサシ

夏休みになると、テッちゃんは毎日のように、勘太をセミとりにさそいにくる。
きょうのテッちゃんは、広いおでこがいつもよりテカテカしている。いいことがあるしるしだ。
「カブトムシいる林、にいちゃんに教えてもろたんや」
国鉄のせんろちかくのお宮さんの森だという。
「いまからカブトムシがりに行こ」
「あのお宮さん、よその地区のや。虫とりなんかしたらおこられへんか」
「神さんにおまいりしたらええねん。そしたら、なんぼでも持っていけっていうてくれはる」
(そんなけっこうな神さん、いはるやろか) “Lapiz 22夏号Vol.42 読切連載《アカンタレ勘太11-1》文・画 いのしゅうじ” の続きを読む

Lapiz22Vol.42 とりとめのない話《こだわり人間》中川眞須良

「フルレンジスピーカーと共に」

彼はオーディオが好きだ と聞いている。
一口にオーディオと言っても入口(音源)から出口(スピーカー)まで範囲が広い。この道楽?の世界、広範囲に小遣いを投資しているとたちまち財布はパンクである。

だからでもないと思うが私の知るオーディオファンは一つのジャンルに絞り、「時間はかけるが金はかけない」と コツコツ自分の世界を楽しんでいる人が多いようだ。

思い当たる人は

Ⅰ、古い真空管探しに明け暮れる人、(数年前から世界のネット市場も含めて)    聞けばFM専用ステレオチューナを製作中とか・・・・。
当人曰く「5素子アンテナを建て早く出来栄えをチェックしたい」。

Ⅰ、解体した古民家での使用済木材を探す人。製作中のバックロードホーン用の  エンクロージャーの材料の一部とか・・・・。
当人少し諦め気味に「いつになったらできることやら」。

Ⅰ、薄いセーム皮を日本全国に探す人、12インチウーファをコーン紙代わりに張り替え音質の違いを楽しむとか・・・。
私に「あまり意味がない?」と聞かれても返事の仕様はない。

1、コンデンサー式スピーカーの使用 修理 製作にこだわる人
衝立を二つ並べたようなあまり見かけぬタイプ(左右一組で)、「広い和室で小  音量ならよく似合うんです・・・。普通の箱タイプは無骨でいかん!」

など 様々だ。

さて この彼はどのようなファンなのだろうか。お互いオーディオ好きであることを知りつつもレコード談義のわりにはオーディオ製品に関する話の機会は少なかったような気がする。しかし会社の代表でもある彼の事だ スピーカーに興味があるのなら最高級のいわゆる名機と呼ばれる立派な製品を所有しているものと思っていた。ある日彼から「私のスピーカー かなり音が出るようになったのでお気に入りのレコードを持って一度聞きに来てください」とお誘いを受けた。  はて・・・?と思いつつ(なぜ自宅ではなく会社なのか?) 早速 後日彼の会社へ。
案内された部屋は三階建の二階の一室で事務室と一部商品の見本置き場を兼ねた40平方メートルほどの整頓されているとは言い難いなんの変哲もない空間であった。しかし奥の窓際に置かれた木製の場違いとも思われる大型の机、これにはすぐ目を奪われたので咄嗟にそのサイズを聞いてみた。

Wー185、Hー80、Dー120(cm)で特注品とのこと。そしてその机上右端に置かれた何かを覆う布の大きなカバー以外は何も置かれていない。立派な事務机?である。しかしこの室内 スピーカーはおろかオーディオ製品は一切見当たらない。すると彼 少しニンマリ、横目で私を見ながら「レコードを出してください」と。

このあと机の大きさの驚きに続くさらなる驚きが待っていた。

それらの内容は順に

1、机上の大きな布を取り払うとレコードプレーヤー、球管式ミニアンプ、フォノ イコライザーが整然と並ぶ

1、ターンテーブルとトーンアームは 天板に直付け

1、コード類は全く見えない(すべて内部収納)

1、彼 私の持参したLPをじろっとチェツク、 慎重にターンテーブルヘ

1、各部所電源ON、カートリッジ盤上へ、ボリュームダイヤルゆっくりアップ

1、聞き覚えのある曲が流れ始めたがスピーカーはどこだ?

1、変にこもり、濁ったあまり聞き慣れない音 それは明らかに机の中すなわち引き出しの中からである。 この机 両袖大型三段引き出し付き

1、彼は机の前中央に座り込み左右に大きく腕を伸ばし引き出しを同時に下    段、中段、上段と順にゆっくり引き(開き)始める

1、音質一変 いつも自宅で聞く再生音に近い!

その時の彼のコメントは「独立した三段引き出しを各一つのバスレフエンクロージャーとして使っていますが未完です。ユニットの取り付け位置、方向、各段の密閉度、引き出しの開閉度などいろいろ変えて遊んでます。ユニットはすべてフルレンジですのでおのずと限界がありますが・・・。
なぜフルレンジに・・?ですか? 安上がりで面白いから・・でしょうか。」と。

そして最後に見せてもらった各引き出しの中身こそ この日の最大の驚きだ。

上段引き出し  8cmフルレンジ・・・・・・・・・1

中段引き出し  12cmフルレンジ・・・・・・・1

下段引き出し  12cmフルレンジ・・・・・・・2

片チャンネル4個、左右両チャンネル計8個である。さらに引き出し内で各ユニット固定しているもの、いないもの 少し左向くもの、右向くもの、驚きのみである。「次は中段のユニット、15cmに交換しようと思っているのでが・・・。」 グライコ(グラフイック イコライザー)を使用するのは最後の楽しみにおいておきます。

私、心の内で「全くわかりません、好きにやって下さい」としか、、、

そして数分後彼の納得の微調整が完了したのであろう。最後にアンプ(最高出力5W)のボリュームをゆっくりとフルパワーへ、その瞬間、何と何とその場に今まで出会ったことのないjazzトランペット 「ドン・バード」の新しい世界が広がったではないか。(決して厚み、膨らみを持った音ではないが)

「次は貴店で聞かせていただいたキース・ジャレットのソロピアノに挑戦してみようと思っています。」と。

このオーディオの世界で言ういわゆる その人にとって「良い音」とは何かを改めて思う一日でもあった。

40平方メートルのこの部屋は 事務室でもオーディオルームでもなく まさしく音響工学の研究室 (サウンドラボラトリー) と言ったほうがふさわしい。

今夜もまたハンダゴテを握り、スピーカー音に耳を澄ましているかもしれぬ このこだわり人間は 向こう見ずの突っ走り屋である。

22年夏号Vol.42 連載コラム・日本の島できごと事典 その65《ウグイス》渡辺幸重

ダイトウウグイス(「日本の野鳥識別図鑑」)

 ウグイスは国内にウグイス、ハシナガウグイス、リュウキュウウグイス、ダイトウウグイスの4種類の亜種が生息しています。亜種のウグイスは北海道から九州まで広く分布し、礼文島や壱岐・対馬、伊豆諸島、屋久島・種子島などでも見られます。ハシナガウグイスは小笠原諸島に分布、リュウキュウウグイスはトカラ列島以南の琉球弧(南西諸島)に生息し、ダイトウウグイスはかつて南大東島・北大東島で目撃されました。

 ダイトウウグイスは、1922(大正11)年に鳥獣標本採集家・折居彪二郎(ひょうじろう)が南大東島で初めて2羽を発見し、捕獲して世に知られるようになりましたが、その後は1984(昭和59)年に北大東島で目撃されたのを最後に記録がなく絶滅したと考えられていました。ところが2001(平成13)年に沖縄島でダイトウウグイスと思われるウグイス群が確認され、その後も奄美群島での目撃情報があったため国立科学博物館が調査したところ、奄美群島の喜界島でオス10羽、メス5羽と巣7個が発見されたのです(2008521日発表)。環境省の2006年鳥類レッドリストでも絶滅とされたダイトウウグイスが蘇ったのです。

 ハシナガウグイスは本州の亜種ウグイスより17年早く記載されているためウグイスの“基亜種”とされており、小笠原群島の父島や西島、火山列島の南硫黄島に生息しています。ちなみに、小笠原諸島は小笠原群島(聟島列島・父島列島・母島列島)、火山列島(硫黄列島)、西ノ島、南鳥島、沖ノ鳥島からなる東京都に所属する島嶼群で、小笠原群島は小笠原諸島の一部になります。ハシナガウグイスの小笠原群島の集団と火山列島の集団は遺伝子タイプが異なることが判明しており、ルーツは同じでも交わることなく別々に変化してきたといえます。

 かつては聟島列島の聟島(むこしま)や火山列島の北硫黄島にもハシナガウグイスが生息していました。西島でも一時期は定着した個体を確認できない時期がありましたが、ノヤギなど外来動物の駆除の結果、定着が確認されるまでに回復しました。外来動物の駆除が西島では間に合い、聟島では間に合わなかったということになります。ハシナガウグイスが20世紀半ばに絶滅したといわれる聟島では近年、本州・伊豆諸島のものと同じ亜種のウグイスが見られるようになりました。 越冬のためと思われますが、聟島では外来動物が駆除されているため、かつてのハシナガウグイスに代わって本州・伊豆諸島と同じ亜種のウグイスが定着する可能性があるといわれています。

写真:ダイトウウグイス(「日本の野鳥識別図鑑」)

https://zukan.com/jbirds/internal14899

22年夏号Vol.42 編集長が行く《性犯罪とウクライナ戦争の本質》Lapiz編集長 井上脩身

フラワーデモの準備をする人たち(この後、撮影禁止のプラカードを掲示し、輪になって性被害問題を語り合った)

 ウクライナ戦争反対集会があるとネットで知り、4月11日、会場である大阪市北区中之島の中央公会堂前広場にでむいた。開始時刻になると11人(女性10人、男性1人)が姿をみせ、街灯のそばで輪になった。リーダーと思われる人が性被害に遭った女性の手記を読み上げた。傍らには「同意なき性行為は犯罪です」などと書かれた数点のプラカードが立て掛けられ、うち1枚には「撮影禁止」と大きく書かれている。頭の中で描いていた反戦集会のイメージとは全く異なる雰囲気なので、私はしばらくして立ち去った。帰りの電車の中で気づいた。ウクライナに攻め込むロシア軍の行っていることは、性犯罪と同根なのではないか、と。性被害の観点からウクライナ戦争をみれば、プーチン大統領の本質に迫ることができるかもしれないと思った。 “22年夏号Vol.42 編集長が行く《性犯罪とウクライナ戦争の本質》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

22年夏号Vol.42 OPINION《改ざんを取り締まる中国》山梨良平

以下のようなニュースを見つけた。驚くなかれ、中国の話だ。

「改ざんは最大の腐敗」中国国家統計局長が警告 “違反”幹部らの責任追及へ
タイトルからして驚くのは「日本の安倍政権時代の話か?」と思ったこと。ニュースは22年6月1日の朝日テレビ。
一方わが国も共産党機関紙赤旗が政府の改ざん・隠ぺいをまとめていたので紹介したい。
「隠ぺい・改ざん・ねつ造…底なし すべての問題 安倍首相の責任」
→公文書改ざん、森友・加計疑惑の真相隠し、自衛隊日報隠ぺい、文民統制の崩壊、財務省セクハラ問題、「働かせ方改悪」のための労働データねつ造、「特別指導」をめぐる疑惑、教育への介入や圧力――。どの問題も根源には、おごり高ぶった安倍政権の強権政治や国政私物化があります。それぞれの問題で何が問われているのか、疑惑解明のために何が必要か、改めて見てみました。

最近のデータでも各省庁の改ざん・水増しなどの不正が横行していると指摘されている。

福田元首相も財務省決裁文書改ざん等一連の政府対応に次のように苦言を述べた。
⇒公文書管理の強化に取り組んできた福田元総理大臣は、財務省の決裁文書の改ざんについて「行政的には決着したと言われているが、簡単に割り切れるか政治も考えなければならない」と述べ、一連の政府の対応に苦言を呈しました。また公文書管理の重要性について「健全な民主主義を進めるためには国民が真実を知ることが大事だ。作成すべき文書が作成されず、保存すべき文書が保存されていないのであれば、国民に対する背信と言わざるをえない」と指摘した。

中国では国家統計局の局長が「改ざんは最大の腐敗で政府統計の信頼への最大のダメージ」と述べたと報道にある。そのうえで「幹部などを厳しく取り締まる」と述べた。先月には地方政府の党関係者ら100人が処分された。
残念ながらわが国では処分の話は寡聞にして聞かない。それどころか改ざん・隠ぺいした役人は「出世して」いる。

22年夏号Vol.42 びえんと《語り部になったアウシュビッツ生還者》井上脩身

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所に送りこまれながら生き延びたウクライナ人の男性(96)が、ロシアの攻撃で死亡したことが3月21日に発表された。たまたま私は『アウシュビッツ生還者からあなたへ――14歳、私は生きる道を選んだ』を読み終えたところだった。強制収容所から生き延びたイタリアの終身上院議員、リリアナ・セグレさんが語った体験を、中村秀明・元毎日新聞副論説委員長が翻訳し岩波ブックレストとして刊行されたのだ。戦後77年。ロシアのプーチン大統領が行うウクライナ戦争の惨状をみると、強制収容所が決して昔話ではない恐ろしさを禁じ得ない。 “22年夏号Vol.42 びえんと《語り部になったアウシュビッツ生還者》井上脩身” の続きを読む

22年夏号Vol.42 連載コラム・日本の島できごと事典 その64《豊田音頭》渡辺幸重

豊田音頭を踊る人(「地域文化遺産ポータル」動画より)

120kgもの重い石地蔵を背負って盆踊りをやるなんて、誰が考えつくでしょうか。それが佐渡島の真野(まの)地区豊田では古民謡「豊田音頭(真野音頭)」として伝わっているのです。

かつて佐渡のホテルで豊田音頭を見た「東京やなぎ句会」のメンバーはその姿に感動し、絶賛しました。小沢昭一は柳家小三治との対談で「僕の心の中の、あれを見たときのざわめき、嬉しさ、……あのナンセンス……(笑)何の意味もない中に、思えばどれだけの深い哲学を、その人その人なりに、あそこから汲み取ることができるかっていう、これぞ、深い芸術、芸能っていうものの極致です」と語り、小三治に対して「あん時にあなたが喜んでる姿を右の目で見ながら、僕もおんなしに喜んで感動していたんです」と言っています(東京やなぎ句会編著『佐渡新発見』1993年5月三一書房)。このときは踊りの輪の中を60kgの石地蔵を背負った男が右から左へただ一回だけ通り過ぎたと説明されています。

豊田音頭は、佐渡金山が隆盛を極めていた頃、その道中音頭が元となってできた盆踊り唄で、昔、若くして妻子を亡くした男が、お盆に戻ってくる妻子の身代りに大光寺境内の地蔵を背負って踊ったのが地蔵を背負う始まりと伝えられ、その後若い衆が力自慢に背負うようになったようです。石地蔵の重さは60~100kgで、なかには120kgを超えるものもあるそうです。私が見た「地域文化遺産ポータル」の動画では、音頭を踊る女性たちの輪に交じって大きな石地蔵を背負った2人の男性が同じ盆踊りを踊っていました。また、豊田音頭を継承しようと活動をしている「小波会(さざなみかい)」の動画では踊り手全員が小さな石地蔵を背中に結んでいました。豊田音頭は一時途絶えたものの1978年(昭和53年)に復活し、真野小学校の子供たちも背の2倍にもなろうという大きなハリボテ地蔵を背負って踊ります。

柳家小三治は「まいんち担いでるやつは、普通の顔になっちゃうわけ。だからあれは悲しかった。すばらしかった。で、しかも、もう担いでる自分の姿を想像して、滑稽にすら思ってる、っていう、そういう、辛い悲しい、そういうものを通り過ぎてしまった人の、……態度だね。だから、すばらしい」と言っています。小沢昭一も小三治も妻子を亡くした男の話は聞いていなかったようです。しかし、それを知っても豊田音頭に対する「あの無意味、不条理、不毛、あれは人生だなァ」(小沢昭一)という評価は変わらなかったでしょう。

原発を考える《ロシア軍がウクライナの原発を占拠した》一之瀬明

人類が永遠の電力を手に入れたのか、はたまた地獄の業火を弄んだのか。我々は原子力と言う魔法のエネルギーを手に入れたようにも思える。その最たるものが原子力発電所である。何事もなければこんな良いものはないともてはやされてきた。しかしながら1986年4月に起きたウクライナのチエルノブイリでの爆発事故がその印象を一変させた。 強制移住等:数十万人以上、 死者:33人(4,000人とも (IAEA公式見解、異論有))と言われているが明確ではない。

ウイキペディアによると「チエルノブイリ原発は1986年4月26日午前1時23分に、ソビエト社会主義共和国連邦の構成国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故である。のちに決められた国際原子力事象評価尺度では深刻な事故を示すレベル7に分類された」とある。

そのチェルノブイリ原発をロシア軍はウクライナ侵攻時に制圧したというニュースが流れた。《素手で放射性物質 ロシア兵、チェルノブイリで相当量の被ばくか・毎日新聞》、《ロシア軍、チェルノブイリ原発の森で塹壕掘って被ばくか ウクライナ当局、高レベル放射性物質の盗難も発表 ・東京新聞》、《ロシア軍、チェルノブイリから放射性物質盗む ウクライナ・時事》などなど、素人考えながら恐ろしい事件が起こっている。ロシア兵が無知なのかわからないが、これらの報道が事実ならば、ロシア兵は相当の放射能被害を受けているはずである。「素手で放射性物質に」などもってのほかの行為だ。

プーチンはこの事実を知っているのか、原発占拠の命令は誰が下したのか、死の森で塹壕を掘れと命令を下したのはだれか。今後の解明を待たれる。

原発はこのように危険だ。ヒロシマやナガサキの例を見るまでもない。放射性物質の人体に与える影響はその時の「死」だけではない。人体に入り込んで長年続く。チェルノブイリ原発の制限区域を訪れたウクライナのハルシチェンコ・エネルギー相は、「(ロシア兵は)放射性物質で汚染された地面を掘り、土のうを作るため土を集め、そのほこりを吸い込んだ」とフェイスブックに投稿。「このように1カ月にわたって被ばくすると、彼らの余命は最大でも1年だ」とし、「ロシア兵の無知は衝撃的だ」と記している。 やはり原発は危険だ。

22年夏号Vol.42 原発を考える《「黒い雨訴訟」に見る原発の問題点》井上脩身

『私が原発を止めた理由』の表紙

2014年5月、関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを、福井地裁の裁判長として命じた樋口英明氏の活動を追った映画が今秋上映される。題は「原発をとめた裁判長そして原発をとめた農家たち」。樋口氏を中心に福島県二本松市の営農家らの活動を通し、原発の危険性を告発する映画となるようである。その主人公の樋口氏については、ラピスでも著書『私が原発を止めた理由』を取り上げ、我が国の原発が過去の地震の大きさに対応する対策がなされていないことを明らかにした裁判官であると紹介してきた。樋口氏についての映画企画が浮上したのを機に、私は改めて同書を読み返した。樋口氏が放射能被ばくの観点から「黒い雨訴訟」を注目していることに気付かされた。本稿では、同訴訟を通して、原発の問題点を考えたい。 “22年夏号Vol.42 原発を考える《「黒い雨訴訟」に見る原発の問題点》井上脩身” の続きを読む

22年夏号Vol.42 《巻頭言》Lapiz 編集長 井上脩身

姉のナターシャ・グジーさん

ウクライナにバンドゥーラという民族楽器があります。コントラバスとハープをくっつけたような、涼やかな音色の弦楽器です。日本人にはなじみのないこのバンドゥーラ奏者のウクライナ人姉妹が日本にいます。姉妹は祖国の平和を願って日本の各地でコンサートを開いています。

 姉妹はナターシャ・グジーさんとカテリーナ・グジーさん。姉妹はチェルノブイリ原発近くのプリチャピという町で生まれました。1986年4月26日、同原発が事故を起こしたとき、姉のナターシャさんはプリチャピの小学生、妹のカテリーナさんはまだ生後1カ月の乳児でした。一家は「3日間だけ」といわれて首都キーウに避難。同原発周辺に立ち入ることはできず、一家がプリチャピに帰るというささやかな夢はついえました。

姉のナターシャさんはキーウの小学校に転校、やがてバンドゥーラに出合い、8歳のときから音楽学校で本格的にバンドゥーラ演奏と声楽を学びます。そして同事故で被災した少年少女を中心に結成された音楽団「チェルボナ・カリーナ(チェルノブイリの赤いカリーナ)」のメンバーとして1996年と1998年に来日しました。日本に魅力をおぼえ2000年から日本で活動をはじめました。

妹のカテリーナ・グジーさん

妹のカテリーナさんもキーウの小学校に上がると、お姉さんの後を追うようにチェルボナ・カリーナに入団しました。バンドゥーラを演奏しはじめ、10歳のとき楽団の一員として来日。ウクライナの文化を日本に伝えたいと思うようになり2006年、日本に移住しました。

2011年3月11日、福島第一原発で事故が発生。「安全な国」と感じていた日本でチェルノブイリ原発事故クラスの過酷事故が起きたことに姉妹は驚愕。ナターシャさんは2017年7、事故原発があった福島県大熊町の小学校が避難している会津若松市の仮校舎で演奏。カテリーナさんは福島事故から10年がたった2021年、滋賀県彦根市でのコンサートに出演するなど、バンドゥーラ演奏を通して、被害に遭った人たちを支援したり、原発事故の恐ろしさを訴えてきました。・ “22年夏号Vol.42 《巻頭言》Lapiz 編集長 井上脩身” の続きを読む